大判例

20世紀の現憲法下の裁判例を掲載しています。

東京高等裁判所 昭和51年(う)589号 判決 1978年8月11日

第一 本件の経過

第一 当裁判所の判断

一 控訴趣意及びこれに対する総括的判断

二 供述の信用に関する原判決の総論的判断について

三 増渕利行の捜査段階における供述の信用性について

四 中村隆治の捜査段階における供述の信用性について

五 榎下一雄捜査段階における供述の信用性について

六 堀秀夫の捜査段階における供述の信用性について

七 被告人の供述の信用性について

八 結論

主文

本件控訴を棄却する。

理由

本件控訴の趣意は、検察官井上勝正提出の東京地方検察庁検察官検事豊島英次郎作成にかかる控訴趣意書に、これに対する答弁は、弁護人尾崎昭夫、同吉村信彦が連名で提出した答弁書に、それぞれ記載してあるとおりであるから、これらを引用し、これに対して当裁判所は、次のように判断する。

第一本件の経過

本件公訴事実の要旨は、

被告人は、増渕利行らが、昭和四六年一〇月一八日午前一〇時三〇分過ぎころ、治安を妨げ、かつ、他人を殺害する目的で、包装を解くことにより爆発する装置を施した爆発物二個を、当時の警察庁長官藤田正晴、新東京国際空港公団総裁今井栄文各宛の小包郵便物として東京都港区内の日石本館内郵便局に受け付けさせ、これを同郵便局員において取扱中爆発するに至らせて爆発物を使用すると共に、右爆発により同郵便局員に傷害を負わせたが殺害するに至らなかった際、右増渕らが前記各犯行を行なうものであることの情を知りながら、同月一五日ころ同都杉並区内の喫茶店「サン」において右増渕らから依頼を受けるや、同人らを逃走させ、かつ、犯跡を隠ぺいするため、同人らを同郵便局付近第一ホテル前から千葉県船橋市習志野台方面まで輸送することを承諾し、もつて同人らの右各犯行を容易ならしめてこれを幇助したものである、

というにある。

原審における本件審理の経過は、原審第一回公判期日において、被告人は、被告事件に対する陳述の際、「本件爆発物の構造、爆発装置の内容は知らないが、その他の事実は起訴状記載のとおり相違ない。」旨本件公訴事実を認め、検察官は、続く冒頭陳述において、大要、「増渕利行は昭和四六年六月ころから起訴状記載の目的で爆発物を郵送することを決意し、同年九月下旬ころまでの間、堀秀夫、江口良子、前林則子、榎下一雄、中村隆治を犯行に加担するよう説得し、同人らもこれを承諾して共謀が成立し、そのころ増渕、堀は右爆弾の郵送先、発送すべき郵便局をそれぞれ起訴状記載のとおりとすることを決定し、同年一〇月一二日ころ同都世田谷区内の高橋荘増渕方居室において、増渕、堀、江口、前林、榎下らが集まつて起訴状記載の爆発物二個を製造し、増渕、堀は協議のうえ、右爆発物二個を起訴状記載の日に江口、前林をして前記郵便局に小包郵便物として差し出させることとし、同月一五日ころの夜増渕、堀は、榎下、中村、被告人を起訴状記載の喫茶店「サン」に集合させ、同所において、榎下に対しては、同人の勤務先である同都杉並区内の白山自動車有限会社付近から新宿中央公園の首都高速道路入口付近まで、中村に対しては、同所から日石本館を経て新橋第一ホテル付近まで、被告人に対しては、同所から爆弾の差し出しを終わつた前林を同乗させ、千葉県船橋市習志野まで、それぞれ自動車を運転し、爆弾及びその発送担当者を運搬するよう指示し、被告人らもこれを承諾した(以下、「サン」謀議という。)が、そのころ増渕、堀は、右爆弾二個を榎下に指示して前記白山自動車において保管させ、同月一八日増渕、江口は右爆弾二個の入つた手提袋を所持してかねての計画どおり榎下、中村の運転する自動車を順次乗り継いで日石本館ビル前付近に到着し、付近に待機していた前林と合流し、江口、前林両名は右手提袋を持つて前記郵便局に至り、右爆弾二個を起訴状記載のとおり小包郵便物として差し出し、受け付けさせたうえ、退出し、中村運転の車両で前記第一ホテル前へ赴き、他方被告人は、前記約束に従つて勤務先の同都中央区内の月島自動車有限会社から自動車を運転し、同日午前一〇時三〇分ころ新橋第一ホテル前に到着し、中村らの到着を待ち、午前一〇時四〇分ころ中村運転の自動車が到着し、増渕、前林が下車して来たので、右両名を自動車に乗せ、前林の案内により前記習志野台所在の千葉陸運事務所習志野支所(以下、習志野陸運事務所という。)まで運転した。」と述べ、被告人は、被告人質問に際してもほぼ検察官の主張に添う供述をし、証拠調も一応終り結審直前の段階に至つた。ところが、同第二回公判期日において、検察官より、「中村は、同人に対する被告事件の法廷で、搬送行為の一部について否認するに至り、その供述の変遷の理由等を検討した結果、相当な理由があると思料されるので、被告人が中村から引き継いで増渕、前林を搬送したとの主張は、被告人が氏名不詳者から引き継いだものであると変更する。」との釈明があつて、検察官の前記主張は変更され、被告人も同第三回公判期日において、「実際は起訴状記載の事実は存在しない。第一回公判期日において認めるような供述をしたのは、少しでも早く仕事ができる状態にするため、親、兄弟、弁護人と相談してそのようなことにしたものである。」旨供述して、一転否認するに至り、以後被告人の「サン」謀議への参加の有無とそれに基づくところの搬送行為加担の有無をめぐつて、共犯者及び被告人の捜査段階における各供述の信用性につき検察官、弁護人双方の主張、立証が継続された。

ところで、本件の特徴は、事件発生から被告人らの取調開始まで一年半近くを経過したこともあつて、被告人と事件との結びつきを直接証明する証拠は、各共犯者及び被告人の供述以外にほとんどないうえに、搬送の最も重要な部分を担当したとされた者につきアリバイのあることが判明し、証拠上重大な空白を生じたことになる。

原判決は、証拠により、二人連れの女子が公訴事実記載の日時場所において公訴事実記載の爆発物二個を、公訴事実記載のとおり小包郵便物として受け付けさせ、郵便局員において取扱中爆発するに至らせ、同郵便局員に傷害を負わせた事実(以下、日石事件という。)は認定することができるとしたが、被告人が「サン」謀議に参加し、かつその際公訴事実記載のとおりの幇助行為に及んだとの事実については、これを裏付けるかに見える共犯者らの検察官に対する各供述調書、被告人の検察官に対する各供述調書、被告人の原審第一回公判期日における供述等の証拠を詳細に検討したうえ、これらの証拠の信用性には疑いがあるとし、結局本件は犯罪の証明がないものとして被告人に対し無罪を言い渡した。

第二当裁判所の判断

一所論は事実誤認の主張であり、要するに、被告人に対し無罪を言い渡した原判決は、証拠の取捨選択と評価を誤りその結果事実を誤認したものであつて、右の事実誤認は判決に影響を及ぼすことが明らかであるといい、その理由を縷述するものである。

そこで、原審記録を精査し、当審における事実取調の結果をも参酌して検討すると、結局、関係者らの供述の信用性には疑いがあるとして原判決の判断は、正当であつて十分首肯し得るものであり、原判決には所論主張の事実誤認があるとは考えられない。すなわち、「サン」謀議と搬送行為に関し、関係者である増渕、榎下、中村及び被告人は、いずれも捜査段階で、細部において相違はあるが、これらが事実であることを認める点においては一致する供述をしている。しかも、右供述は極めて具体的かつ詳細であつて、あたかもその事実を直接体験した者でなければ表現し得ないような内容の描写を含んでいるけれども、しかし、(一)中村は事件当日(すなわち、搬送の日)東京都府中市の警視庁府中運転免許試験場において、午前九時二〇分ころから正午ころまでの間、運転免許学科試験を受験していた事実が明らかになり、アリバイが成立したので、同人の搬送行為に関する関係者らの供述はすべて虚偽であることが判明した。(二)関係者らがこのように一致して虚偽の供述をした原因につき、検察官は、中村が担当したとされる搬送部分を実際に担当した真犯人を秘匿するため、その氏名を出さないことについて関係者の間に意思の一致があつたからであると主張するが、それに添う証拠はない。しかも、そのような意思の一致以外に虚偽の供述をした原因が全く考えられないわけではない。したがつて、このような虚偽の供述をした原因は結局明らかでないといわざるを得ない。(三)「サン」謀議に関し最初にかつ詳細な供述をしたのは中村であるところ、同人は、まず搬送行為を供述し、次いでそれを前提として「サン」謀議を供述しているが、三人による引継搬送というようなことを行なうにあたつてはあらかじめ相談をし綿密な計画を立てたはずである、ということで捜査官から追及された結果、「サン」謀議に関する供述がなされるに至つたものと認められる。(四)本件訴因は、被告人の「サン」謀議参加の事実であつて、これに基づく搬送行為ではない。しかし、検察官は、被告人が「サン」謀議に参加し、かつ、謀議で予定されたとおり搬送行為を実行したとして主張立証をしている以上、実際問題としては「サン」謀議参加と搬送行為とは表裏一体の関係にあるといつて差しつかえない。また、搬送行為は三人による引継搬送であり、検察官の当初の主張によれば、被告人は中村から引継を受けて最後の搬送部分を担当したというのであるから、中村に搬送当日のアリバイが成立したことは、本件の解明に極めて重大な影響を及ぼすというべきである。(五)関係者らは、中村搬送の事実につき、前記のように一致して具体的かつ詳細な供述をしているが、中村のアリバイ成立によつてその点に関する右供述がすべて虚偽であるということになると、これによつて、関係者らの他の供述部分、特に中村から引継を受けたとされる被告人の搬送行為に関する併述部分、ひいては被告人の「サン」謀議参加に関する供述部分も、その信用性に重大な影響を受けることは否定できない。また、その余の諸点を検討してみても、右影響を排除しこれらの供述の信用性を肯定するに足りる証拠はない。したがつて、これらの供述及びこれを前提とする被告人の原審第一回公判期日における供述は、いずれも信用し難いところである。

以下、個別的に主要な論点につき判断を示すこととする。

二供述の信用性に関する原判決の総論的判断について

所論(控訴趣意第二)は、要するに次の二点に帰するものといえる。すなわち、(一)原判決は、「被告人と榎下との間で交されたとする搬送に関する会話を含め、これらの事実の存否も、他の独立した証拠に基づいて、動かし難い事実として認定されているわけではなく、畢竟被告人をはじめとする各共犯者の捜査段階における供述によつて認定し得るにすぎないのである。そしていまは、これらの事実の存否をも含めた供述の信用性を爼上に乗せているのであるから、その判断の対象となるべき供述の一部を抽出し、これを動かし難い前提としたうえで、当該供述の信用性を云為することは意味がない。」旨判示しているが、本件においては動かし難い客観的証拠が存在しないのであるから、供述自体によつて供述の真否を判断することこそゆるがせにできない証拠評価の方法であるるにもかかわらず、供述の信用性が問題となつているのに、供述の一部を取り上げて他の供述部分が信用できる裏付けとして主張することは意味がないというような思考方法は全く失当であるといわざるを得ない。(二)原判決は、「供述の内容が幾多の事項にも亘つている場合、そのうちにたまたま明らかに事実に相違する部分が存在する」ようなとき、「事実に相違する供述のなされるに至つた経緯、その供述の内容が事件全般の中で占める質的、量的重要性の割合、その供述と他の供述との要証事実に対するかかわりの程度、これらの事情の如何によつては、他の供述部分の信用性に重大な影響を及ぼすことは否定し難い。そして明らかに事実に相違すると認められる併述部分が、きわめて具体的かつ詳細であつて、あたかもその事実を直接体験した者でなければ表現し得ないような内容の描写を含んでいることおよびそれが単に多数の共犯者のなかの一部の者にとどまらず、これに関係するすべての者を通じて同様内容の供述がなされているということは、決して軽視し得ないところであり、たとえ他の供述部分が、具体的かつ詳細であつて、一見その事実を直接体験した者でなければ表現し得ないような内容の描写を含んでおり、各共犯者の供述内容が一致していたとしても、右と同様の理由によつて、当該事実の存否については疑問を抱かせる余地が存することは否み得ないであろう。結局他の動かし難い客観的な事実と対比しつつ判断するほかはない。殊に、被告人の場合、事実に相違する前示各供述分は、新橋第一ホテル付近において中村隆治から引継を受けたとされるものであり、その引継者が何人であるかは、事件の推移のうえで深い脈絡を有する事柄であつて、法律的にはともかく、実際上本件の核心に触れる部分と称して差し支えないものであるから、前示のような事情が、供述の信用性の判断にあたつて及ぼす影響は、他の共犯者に対する場合と同日に論ずることができないのも、またやむを得ない次第である。」旨判示し、中村隆治の搬送に関して、同人や被告人を含む関係者が一様に虚偽供述をしていることは、被告人の搬送行為を否定する大きな要素になると判断しているが、原判決のこのような証拠評価は極めて皮相的、形式的であつて失当である、というのである。

しかしながら、(一)原審において、検察官が、被告人及び共犯者らの、中村隆治は増渕利行及び前林則子の搬送を担当し、被告人は中村から右両名を引き継いで搬送した旨の供述部分が事実に相違したものであつたとしても、それ以外の供述部分、すなわち、被告人についていえば、被告人が「サン」謀議に参加したこと、その謀議に基づいて日石事件の当日増渕、前林両名を新橋第一ホテル付近から習志野陸運事務所まで搬送した事実に関する供述部分については十分信用に値する旨主張し、その根拠となる総体的な事情として、被告人が(1)本件搬送後、榎下に対し、習志野へ行つて来た状況につき具体的に話をしたことがある、(2)榎下から習志野陸運事務所の所在を質問されたことがある、(3)榎下に対し、爆弾のスイツチについて教示したことがある、(4)いわゆる土田邸事件(以下、土田邸事件という。)の爆弾製造時に、榎下に伴われて増渕方へ赴き、見張りをしたことがある。(5)平素増渕をとうちやん、前林をかあちやんと呼ぶ間柄であり、しかも増渕が別件で指名手配中であることを承知しながら交際を続ける等深い関係にあつたとみられる、(6)参考人として警察の取調を受けるようになつたころ、自己の友人に榎下との交際について口止めをしている、(7)昭和四七年一二月三一日日大二高において、堀から土田邸事件について口止めをされている、以上のような事実を指摘したのに対する原裁判所の判断が所論(一)指摘の原判示部分であつて、右(6)を除くその余の事実については、被告人をはじめとする各共犯者の捜査段階における供述があるのみで、他の独立した証拠があるわけでないことは原判示のとおりであるから、所論指摘の原判断はその当然の帰結であつて、失当な点はいささかもないというべきである。(二)所論(二)指摘の原判示部分は、それ自体としてみる限り相当な判断であり、皮相的ないし形式的な判断という非難は当たらない。なお、虚偽の事実を関係者が口をそろえて供述するということは、それなりの理由がなければならないから、いかなる理由で関係者が口をそろえて虚偽を述べたのかを考察する必要があり、そのような考察もせず、単に多数の者が同一事実について虚偽を述べているとの表面的な事実のみを重視するのは相当でないとの主張はまさにそのとおりであるが、原判決が所論主張のような表面的事実のみを重視しているものでないことは、「事実に相違する供述のなされるに至つた経緯、その供述の内容が事件全般の中で占める質的、量的重要性の割合、その供述と他の供述との要証事実に対するかかわりの程度、これらの事情の如何によつては(後略)」という原判決の判文自体から明らかであるといわなければならない。所論はいずれも失当である。

三増渕利行の捜査段階における供述(以下、増渕供述という。)の信用性(控訴趣意第三の一)について

(一)  所論は、原判決は、増渕供述をもつてしてはいまだ被告人の本件犯行を認定することはできないとし、その理由の一つとして、増渕供述のうち被告人の引継及び搬送状況に関する供述は、他の供述部分と対比すると、極めて抽象的である旨判示しているが、右供述は他の供述部分と対比するときやや抽象的といえないでもないけれども、それは、榎下、中村及び被告人の三名によるリレー搬送の事実は増渕が積極的に供述した事実ではなく、むしろ同人としては供述したくないところを捜査官の追及を受けて渋渋供述した事実であるからであつて、増渕供述の信用性に疑いを抱かせる程抽象的ではない、と主張する。

しかしながら、増渕が捜査官の追及を受けて渋渋供述したとの所論主張の点を考慮に入れてみても、右供述が他の供述部分に比較してかなり抽象的であることは否定し難く、原判決の右判断を不当であると断定することはできない。所論は失当である。

(二)  所論は、原判決が増渕供述について更に「本件日石事件において榎下より搬送を引継ぎ、前林と合流し、前林、江口両名において爆弾を差出し、被告人へ搬送を引継ぐという本件搬送に関する核心的部分を担当したとされていた中村に前述の如くアリバイが存するにもかかわらず中村搬送を供述していることよりして、榎下の搬送部分についてはともかく、被告人への引継運送に関する供述部分が果して真実を語つたものであるか否かについては多大の疑問が存する(後略)」旨判示している点について、増渕が中村搬送について虚偽の供述をしているからといつて、被告人搬送部分に関する供述が信用できないことにはならないとして、その理由を次のとおり主張する。すなわち、中村搬送について虚偽を述べているのは増渕のみではないのであり、組織的犯行において特定の犯人を秘匿するため共犯者が口裏を合わせて虚偽の供述をすることは経験上しばしば見られるところ、本件においては、中村が搬送を担当したとされていた部分の真の搬送者の名を明らかにしないことについて、被告人を含めた共犯者の間に意思の一致があり、そうであればこそ、榎下が中村の氏名を出し、中村が自供したことを捜査官の追及態度から察知した増渕が、中村が搬送を担当し、その運転する車に乗つた旨虚偽の供述をして口裏を合わせたに過ぎないと考えるのが自然である。そして、中村は、日石事件と土田邸事件の両方にかかわりを有している人物であつて、搬送行為の一部について身代わり犯人となつたとしてもそのため刑責が特に重くなることもなく、また、事件について深い知識を有しているから身代わり犯人となるのに適した人物でもある。しかし、被告人は、本件搬送行為を除けば、右両事件にさしたるかかわりを持たない人物であるから、身代わり犯人になるには最も適していないことが明らかである。したがつて、増渕、榎下、中村らが被告人の搬送行為について供述しているのは、まさに被告人が犯人であるからにほかならず、このように中村と被告人との間における事件への関与度、立場の差を考慮することなく、中村について虚偽の供述をしていることをとらえて、被告人に関しても虚偽の供述をしている可能性があるとするのはまさに皮相的な証拠判断であり、真相を見誤つたものというほかはない、というのである。

しかしながら、所論主張のように、真の搬送者の名を明らかにしないことについて被告人を含めた共犯者全員の間に意思の一致があつたものとすれば、増渕が中村搬送について虚偽の供述をしているからといつて直ちに増渕の被告人搬送に関する供述も信用できないとはいえないが、関係者のすべてが虚偽の供述をしているという事実自体はなんらそのような意思の一致の存在を証明するものではなく、他にそのような意思の一致の存在を認めるに足りる立証は少しもなされていないし、また、中村搬送について関係者のすべてが虚偽の供述をするに至つた原因としては、所論主張の関係者間の意思の一致以外には全く考えられないというわけでもない。とすれば、関係者が中村搬送について虚偽の供述をしたことは、その原因が明らかにされない限り、関係者の他の供述部分、特に中村から搬送を引き継いだとされる被告人に関する供述部分の信用性に重大な影響を及ぼすものというべきであるから、原判決の右判断は優に首肯できるところである。所論は失当である。

(三)  所論は、原判決が、増渕供述について、なお、「『サン』における謀議に関する同人の捜査段階における供述自体が最初に供述されたものでないこと、榎下、中村隆治、被告人らの供述内容と細部においてかなりの相違が認められることも考え併せると、被告人が『サン』における謀議へ参加した旨の供述の真偽についても、疑問をさしはさむ余地があることは否み難い(後略)」と判示している部分について、増渕供述が最初になされたものでないからといつて、また他の共犯者の供述と相違があるからといつて増渕供述に信用性がないとはいえないと主張し、特に、江口、前林が否認し続けているにもかかわらず、同人らの犯行については供述し、他方被告人については自ら進んで供述しようとしなかつたのは、組織のリーダーとしての責任感から組織に関係の薄い者をかばおうとする心理の表われであり、最後に被告人について供述したということは、もはや隠し切れないと観念して最後に真実を述べたとみるのが相当であり、また、共犯者の供述との食い違いといつても、被告人に関する部分については引継場所を除いてはほとんど食い違いもないのである、と主張する。

しかしながら、まず、「サン」謀議については、中村が最初に、かつ詳細に供述し、次いで被告人、その後に増渕、榎下がそれぞれ供述しており、中村は右供述に先行し、まず日石事件当日の搬送の状況について、同人が搬送を分担し、増渕らを榎下から引き継ぎ更に被告人に引き継いだ旨供述していたところ、右搬送に関する供述は虚偽のものであることが判明したのであるから、「サン」謀議に関する最初の供述である中村の供述は、帰するところ右虚偽の搬送を前提としこれに関する謀議をしたということになるから、これによつてその信用性が低下することは当然であり、またこれによつて右中村供述の一週間後になされた右謀議に関する増渕供述の信用性も特段の事情のない限り低下するものと考えて差しつかえない。したがつて、増渕供述が最初になされたものでない点をその信用性を否定する一資料とした原判決の判断は相当である。また、右増渕供述が榎下、中村、被告人らの供述内容と細部においてかなりの相違が認められることは明らかであり、このことが原判決の判示する中村のアリバイ及びその余の諸点と相まつて増渕供述の信用性を害する一資料になることも否定し難いところである。所論は失当である

四中村隆治の捜査段階における供述(以下、中村供述という。)の信用性(控訴趣意第三の二)について

(一)  所論は、原判決が、中村供述中被告人が「サン」謀議に参加していたとする部分は、その事実を認定するに値するほど信用性の高いものとはいい難いとし、その根拠の一つとして中村が本件搬送に関して虚偽の自白をしていることを挙げているが、原判決の右判断は誤りであるといい、その理由として、(1)中村が搬送行為について虚偽の供述をしたのは、同人が自供しなければ同人の弟が逮捕されるのではないかと心配したためであつて、搬送行為について虚偽を述べるべき十分な理由はあるが、被告人の「サン」謀議参加について中村が虚偽の供述をしなければならない理由はないこと、(2)搬送行為に関する中村供述は極めて詳細で、実際に体験したものでなければ供述し得ないような内容であるが、中村が全く架空の事実を創作して供述しているのではなく、搬送の実態につき相当の知識を有していたうえで供述していると認められ、特に、前林が事務服を着た場所、被告人との引継地点、被告人に引継後中村一人で帰つたか江口らと共に帰つたかなどの諸点について、真実を知つているはずの被搬送者である増渕の供述に迎合することなく、増渕供述と異なる供述を詳細かつ確信をもつてしているのは、「サン」謀議が存在し中村がこれに参加して搬送に関する知識をもつていたからこそできたものであること、(3)原判決は、「サン」謀議に関する供述が搬送行為に関する供述より後になされたことをことさらに重視し、いわゆるリレー搬送が行なわれるためには謀議が存在するはずであると捜査官に追及されたことは十分考えられるとの推測に基づき、搬送について虚偽を述べたことの必然の結果として謀議についても虚偽を述べた疑いがあるとしているのであるが、右は根拠に乏しい推論というほかないのであつて、いわゆるリレー搬送を実行するためには、「サン」謀議のような形の謀議は必ずしも必要ではなく、増渕が各人に対し個別に集合ないし待機の時刻と場所を指定することでも十分足りるし、中村が搬送したことを初めて供述したときは「サン」謀議についてはなんらの供述をせず、ただ榎下から電話で搬送の依頼を受けてこれを引き受けた旨供述したにとどまるのであつて、これはそれなりに理解可能な状況なのであるから、わざわざ「サン」謀議を虚構する必要があると考えたとは認められないこと、(4)「サン」謀議に関する中村供述が全く虚偽のことでないことは、中村が原審公判廷において「サン」謀議の骨格をなす客観的事実関係が現実にあつたことを証言していることからも明らかであること、(5)中村は、搬送担当者の一人として被告人の氏名を供述したのは捜査官に誘導されたためであるかのように原審公判廷において供述しているけれども、榎下が新橋から習志野までの搬送担当者は被告人であると供述していたことは、当時取調官相互の間でいまだ連絡のない状況にあつたから、中村の取調官が中村を誘導することができるような状況ではなかつたこと、(6)中村と被告人との関係からしても、中村が虚偽を述べてまでも被告人を本件搬送に関係があるように供述する理由があつたとは考えられないから、中村が被告人の氏名を供述したのは被告人が本件搬送の一部を担当したことを中村自身が知つていたからにほかならないこと、(7)中村は、昭和四六年九月一八日ころ日大二高で小包爆弾を郵送する計画について増渕らと相談した事実及び日石事件直後の同年一〇月二三日ころ日大二高で増渕らと日石事件について検討し、再度小包爆弾を郵送することを相談した事実を供述しているが、被告人が右各謀議に参加したことは供述していないのであつて、このような供述態度は、被告人の関与事実についても自らの記憶と確信に基づいて供述する態度を貫いていたことを如実に示すものであること、などを主張する。

しかしながら、(1)中村が本件搬送について虚偽の自白をした理由について、原審検察官は、中村の弟が日石事件に関与しているか否かについての取調を中村が受けた事実はないから、弟をかばうため自己が搬送したとまで供述しなければならない程の取調状況ではなかつたと主張しているのに、所論は中村が弟をかばうという十分な理由があつたと主張するものであつて、検察官の主張は首尾一貫していないだけでなく、証拠上も所論が右自白の理由として指摘する点については、中村自身の原審及び当審各公判廷における供述があるだけで、他にこれを裏付けるものはなく、結局原判決も判示しているように、所論指摘の右理由は一つの可能性にとどまるに過ぎず、これを現実のものとして認めることはできないといわなければならない。(2)所論指摘の、中村が増渕供述と異なる供述を詳細かつ確信をもつてしているという中村供述の部分は、いずれも中村が自ら経験した事実として供述しているものであるが、右供述の後にそのような事実を中村が自ら経験していないことが客観的にも明らかになつたのであるから、右中村供述部分はいずれも虚偽といわざるを得ず、中村がかような虚偽の供述を詳細かつ確信をもつてしたからといつて、所論のように「サン」謀議が存在し中村がこれに参加し搬送に関する知識を得ていたと断定するのは無理である。(3)「サン」謀議に関する供述が搬送行為に関する供述の後になされたことは重視されて然るべきであり、特に、中村は、原審公判廷において、搬送分担を認めた以上事前の打合わせを供述せざるを得なかつた旨弁解しており、また、中村の取調を担当した坂本重則警部(当時は警部補)は、当審証人として、同警部の経験からしても日石事件のような重大犯罪を電話で呼び出して実行させるというようなことは考えられないとして中村を追及した結果、中村は「サン」謀議を供述し始めた旨供述していることを考えると、供述の順序を重視した原判決の判断は決して根拠に乏しい推論ではなく、十分首肯できるものといわなければならない。(4)中村が、原審公判廷において、「サン」謀議の骨格をなす客観的事実関係が現実にあつたことを肯定する供述と受け取れなくもない供述をしていることは確かであるが、しかし、中村は同時にその際被告人がいたか否かについては記憶がない旨を述べているのであつて、中村の右供述から被告人が「サン」謀議に参加していた旨の中村供述が信用できるという結論を出すことは到底できない。(5)本件のような重大犯罪の捜査において捜査官相互の間で全く連絡なしに各自ばらばらで被疑者の取調をするということは通常は考え難いところであり、特に、榎下が既に搬送担当者として中村の氏名を挙げて搬送の全貌を供述しているのに、中村の取調官は中村が自供するまでこれを知らなかつたとは考えられないから、取調官が中村を誘導できるような状況ではなかつたことは認め難い。(6)中村が虚偽を述べてまで被告人を本件搬送に関係があるように供述する理由と必要があつたとは考えられないからといつて、直ちに、真実被告人が本件搬送の一部を担当し。それを中村が知つていたとすることはできない(それは一つの可能性に過ぎない。)。(7)中村は、被告人が「サン」謀議に参加した旨供述しているが、それ以外の謀議について参加したとは述べていない。しかし、それであるからといつて、必ずしも中村が被告人の関与事実についても自らの記憶と確信に基づいて供述する態度を貫いていたのであるとはいい難い。以上の次第であつて、所論が原判決の前記判断に誤りがあるとする論拠は、個別的にみても総合的にみても十分なものではないというべきである。所論はいずれも失当である。

(二)  所論は、原判決は、中村が原審公判廷において、「サン」謀議があつたとされる同じ時期に増渕、堀、榎下、中村の四名が「サン」に集合した事実があること、その席上増渕より中村の運転免許証の有無につき質問がなされたことなどを供述しており、右供述の信用性は相当高く評価し得るのであり、検察官指摘の如く、「サン」謀議の存在自体については肯定的供述をしているものと受け取れないわけではないと判示しながら、それにしてもその際被告人がいたか否かについては中村は記憶がない旨供述しており、その供述態度には相当程度信用性が認められるので、右供述を直ちに虚偽のものと断定するにはなおちゆうちよせざるを得ないとして、これに反する捜査段階における中村供述中「サン」謀議に被告人が参加していたとする部分はいまだその事実を認定するに値するほど信用性の高いものとはいい難い旨判示しているが、右判断は失当であるとして次のように主張する。すなわち、中村の原審公判廷における右供述は、同人が搬送行為を分担し、被告人に引き継いだ旨捜査段階で述べたのは虚偽であるとして明確に否定するのに、「サン」謀議への被告人の参加については積極的に否定しない供述態度をとつていることを示すものであつて、このことは重く評価する必要がある。けだし、もし被告人が「サン」謀議に参加していないことが事実であつて、中村が捜査段階で明らかに虚偽を述べたものとすれば、中村は原審公判廷において被告人の参加を明確に否定するはずであるのに、それを否定せず「記憶がない」とあいまいな供述をしていることは、とりもなをさず捜査段階における供述が虚偽でなかつたことを示す以外のなにものでもない。中村がこのようなあいまいな供述をした理由は、被告人の「サン」謀議参加を供述すれば、直ちに被告人の刑責を裏付けることになるので、被告人の面前ではこれをかばおうとしたからである、と主張する。

しかしながら、所論は、もし被告人が「サン」謀議に参加していないことが事実であつて、中村が捜査段階で明らかに虚偽を述べたものとすれば、中村は原審公判廷において被告人の「サン」謀議参加を明確に否定するはずであるというけれども、そのような断定はやや早計に過ぎるといわなければならない。けだし、被告人が「サン」謀議に参加していないことが事実であつたとしても、もし中村がその事実をはつきり記憶していながら捜査段階では被告人が参加していた旨の虚偽を述べたというのであれば、所論指摘のとおり、中村が原審公判廷において被告人の参加を否定することも考えられるが、もし中村が被告人の参加または不参加の事実について全く記憶がないのに参加していた旨の供述をしたものであれば、中村が原審公判廷において右事実について「記憶がない」旨述べるにとどまり、被告人参加の事実を否定しないとしても不思議ではなく、この場合には、中村が「記憶がない」と述べたからといつて、直ちに捜査段階における供述が虚偽でなかつたことになるわけではないのである。要は、中村の「記憶がない」旨の原審公判廷における供述を所論主張のようにあいまいないわば「逃げの供述」とみるか、原判決のように相当程度信用性のある供述とみるかにかかるものであるところ、原判決が右供述に相当程度信用性があるものとした判断には十分根拠があるのであつて、これを不当とする理由は見出し難い。所論は失当である。

五榎下一雄の捜査段階における供述(以下、榎下供述という。)の信用性(控訴趣意第三の三)について

(一)  所論は、要するに、榎下供述には一般的に高い信用性が認められるところ、榎下が新宿において中村に引き継いだ旨の供述部分は、引継の相手が中村であるという点においては事実に反するけれども、これは榎下が真犯人を秘匿する必要上あえて本件搬送に関係のない中村の氏名を出して供述したものであるから、新宿において中村以外の第三者に引き継いだという榎下の自ら経験した事実を述べたものとして信用して差しつかえなく、したがつて、被告人の本件搬送を裏付ける証拠にもなる、と主張するもののようである。

しかしながら、なるほど榎下供述中榎下が自己の経験事実を供述した部分は一応信用性があるものと認められるとしても、榎下が新宿において中村に引き継いだ旨の供述部分は事実に反するものであることは証拠上動かし難いところであり、これを所論のように榎下が新宿において中村以外の第三者に引き継いだことを証明する証拠とみるというようなことは到底許されないところであるのみならず、榎下が右事実に反する供述をしたのは真犯人を秘匿する必要があつたからであるとの所論は、証拠上の裏付けがあるわけではなく、所論がその根拠として縷述する諸事実をもつてしてもこれを裏付けることはできないといわざるを得ない。所論は失当である。

(二)  所論は、原判決は、榎下供述中被告人の本件搬送に関する部分について、それが榎下の直接目撃し体験した事実ではなく、また事件後被告人との間で搬送に関して交された会話の内容も、中村の搬送を前提としてなされたかの如き措辞があるとして、その信用性を否定しているが、右判断は明らかに誤りであるといい、その理由として、(1)被告人の本件搬送に関する榎下供述は、榎下が被告人から本件搬送の事実を直接聞いた自己の体験に基づく供述であるうえ、被告人は必ずしも中村の搬送を前提として榎下に述べたものではない、(2)榎下についても、虚偽を述べてまで被告人を共犯者としなければならない理由はないのであつて、それにもかかわらず被告人の氏名を出したのは、とりもなおさず被告人が本件搬送を分担したことが事実であり、榎下がこの事実を知つていたからにほかならない、と主張する。

しかしながら、(1)原判示のとおり、被告人の本件搬送に関する榎下供述が榎下の直接目撃し体験した事実ではなく、また事件後被告人との間にかわされた搬送に関する会話が中村の搬送を前提としてなされたかの如き措辞があることは、いずれも否定し難いところであり、その結果、被告人の本件搬送の事実を証明すべき榎下供述の証明力が減殺されるのもまたやむを得ないところといわなければならない。(2)榎下供述によつて被告人と同様本件搬送を分担した者とされた中村についてアリバイが成立し、中村に関する榎下供述が事実に反するものであることが明らかとなつた本件において、中村に引き続いて被告人が搬送をした旨の榎下供述についても同様の疑念を抱くのはむしろ当然であつて、所論のように、虚偽を述べてまで被告人を共犯者としなければならない理由はないのに被告人の氏名を出したのは、とりもなおさず被告人が本件搬送を分担したことが事実であるからである、というのは早計である。けだし、榎下が中村の氏名を出した理由は真犯人を秘匿するためであると検察官は主張するが、証拠上その点は明らかでなく、結局その理由は不明といわざるを得ないが、そうであるからといつて中村が搬送を分担したのが事実であるということには決してならないのであつて、これと同様に、榎下が被告人の氏名を出した理由は、検察官の主張にかかわらず、証拠上は不明といわざるを得ないが、そうであるからといつて被告人の本件搬送を分担したことが事実であるということにはならないのである。所論は失当である。

(三)  所論は、原判決は、榎下供述中「サン」謀議に関する部分につき、榎下は「サン」謀議の最初の供述者でないこと、同供述が本件搬送に関する供述の後事前謀議の有無及び状況について追及された結果なされたものであることなどから、榎下供述中「サン」謀議に関する部分のみを抽出してその信用性を云為することは相当でなく、他の証拠とも比較検討して判断しなければならないとして、結局その信用性を否定しているが、右判断は誤りであるといい、その理由として、「サン」謀議についての供述が榎下によつて初めてなされたものでないからといつて信用性がないとはいえないし、榎下の「サン」謀議についての供述は、すべてにわたつて具体的であり、詳細を極め、他人の供述に追随して虚偽の事実を認めたに過ぎない供述とは到底認められない、と主張する。

しかしながら、所論指摘の原判断にはいずれの点からみても不当な点は認められず、原判断は優に首肯できる。所論は失当である。

六堀秀夫の捜査段階における供述(以下、堀供述という。)の信用性(控訴趣意第三の四)について

(一)  所論は、原判決は、堀が本件搬送に関する謀議のなされた場所は「サン」ではなく「ボサノバ」であると供述しており、「サン」と「ボサノバ」とは店の外観的模様などが異なつていて、錯覚を生ずるおそれは極めて少ないと認められるので、右供述はひつきよう「サン」謀議を述べた趣旨であると解釈するにはちゆうちよせざるを得ない旨判示しているが、右判断は誤りであるといい、その理由として、堀供述は、増渕、堀、榎下、中村、被告人が集まつて本件搬送につき謀議をしたという基本的事実関係の証拠としては十分に価値のあるものであつて、このことは、(1)堀は、本件当日榎下、中村、被告人の三名が自動車運転を担当したことは知らないとの主張を貫きながら、右の謀議の存在を認めていること、(2)堀は、「ボサノバ」というのは「サン」のことではないかと追及されたのに対し、「サン」の記憶はないことを強く主張しながらも、被告人を含めた搬送の相談があつた旨の供述を維持していること、(3)堀には、虚偽を述べてまで被告人を共犯者に引き込む必要は全くなかつたこと、(4)堀は、原審公判廷において「警察官に思い込まされたから供述した」旨弁解しているが、これは単なる弁解に過ぎないこと、(5)「サン」と「ボサノバ」とは、道路を隔てた筋向かいにあり、その距離は約五〇メートルに過ぎないうえ、双方とも出入口から店内に入り左右に客席を見ながらほぼ直進して右側奥のボックスに至る構造であるから、謀議が店の右側奥のボックスにおいて行なわれたとする点において、堀供述の場所についての実質的内容は、他の共犯者の供述に符合し、堀供述は、記憶の混同に基づき「サン」と「ボサノバ」とを誤つて供述したものとみても、なんらの不合理もないこと、などを主張する。

しかしながら、所論指摘の諸点を十分考慮に入れてみても、原判断を誤りとし、堀供述を「サン」謀議を述べた趣旨に解釈するには、いまだ根拠が十分でないといわざるを得ない。所論は失当である。

(二)  所論は、原判決は、堀が謀議の具体的内容、その際の状況等に関しては記憶がない旨供述していること、及び謀議について最初に供述したものではないことからして、堀供述をもつてしては被告人の「サン」謀議参加を認定することはできない旨判示しているが、右判断は誤りであるといい、堀は、増渕に次ぐ組織の幹部として共犯者の責任を明確にせざるを得ない事項については、つとめて供述を避けようとの態度から具体的供述を避けたものである、と主張する。

しかしながら、原判決が指摘する点がいずれも堀供述の信用性を減殺する要因であることは否定し難いところであつて、原判断にはなんら所論指摘の誤りは認められない。所論は失当である。

七被告人の供述の信用性(控訴趣意第四)について

所論は、原判決は被告人の原審第一回公判期日における自供及び捜査段階における自供をいずれも信用性がないものとして排斥しているが、原判決は、被告人の供述を形式的、表面的に観察したのみで、自供の動機、供述状況、供述内容等を堀り下げて検討することなく自供の信用性を否定したもので、右判断は誤りであり、被告人の自供には信用性がある、と主張しその理由を詳述するので、以下、項を分けて判断を示すこととする。

(一)  原審第一回公判期日における自供について

所論(控訴趣意第四、三、3、(一))は、(1)被告人は、右自供の動機につき、早く釈放され社会で仕事をしたいためや刑の執行猶予を受けることを念じたためである旨否認後の原審公判廷において供述している。しかし、取調官が被告人に対し事実を認めれば執行猶予にするなどと誘導した事実は全くない。まして本件のように多数の共犯者が関与している事案では、被告人の自供のことのみならず多くの他人の刑責にも関係してくることであつて、自分のみが虚偽の供述をしても、他の者の供述によつて直ちにその虚偽が発覚することは必定であり、その他人、たとえば榎下、中村、増渕、堀らについてまだ公判が開かれず、これらの者の認否の明らかでない段階で、積極的に架空の事実を認めるということは全く異常なことで、到底納得できないものである。また、被告人は、公判対策等について弁護人と打ち合わせた際、弁護人に対し、「サン」謀議及び習志野への輸送は実際はやつていないことを述べたが、弁護人から、やつていないことは分かるが、証拠上はやつたというように固められており、無罪判決を得るのは難かしいから、一応事実を認めて執行猶予の判決を受け、もし共犯者について無罪が出ればその段階で再審の途もあると言われたこともあつて、自供をする気になつた旨供述しているが、この自供の動機なるものも後から考え出された弁解に過ぎず、到底信用できない。(2)被告人の原審公判廷における自供内容は、極めて具体的であつて、捜査当時供述していない事実をも含んでおり、「サン」謀議及び被告人の搬送に関する部分は十分に信用できるものである。すなわち、「サン」謀議の状況について、弁護人及び裁判長の質問に対し、ここまでやつたんならもうばれたら死刑だからやれと増渕が命令した旨及び増渕の右言動は榎下と中村に向けられたものであり、自分に対してはこれをやらないとよくない、お前のためにはならないぞというようなことを言つた旨それぞれ供述しているが、被告人は具体的かつ慎重に増渕らの言動を想起しつつ事実ありのままを供述していると認められるのであり、しかもこのことは、捜査当時、警察官に対しても検察官に対しても供述していなかつた新事実に関するもので、十分措信できる内容であるのに、原判決はこれについてなんら検討を加えていない、と主張する。

しかしながら、(1)取調官が被告人に対し事実を認めれば執行猶予にするなどと誘導した事実はないとしても、取調官の言葉のはしばしから(取調官であつた原審証人根本宗彦の供述によれば、本件起訴後根本証人と三森部長と被告人の三名がいるところで、「三森部長が、被告人は本犯ではないから大したことないだろうというようなことを言つたような気がする。それで私がすぐその話を止めさせた。執行猶予とか保釈とかには触れていない。」ということであり、同じく取調官であつた原審証人栗田啓二の供述によれば、「被告人に対して、幇助の法律上の効果ということで話をしたが、執行猶予という言葉を明確に出したという記憶はない。ただ被告人がそう取れるような言い方であつたかもしれない。」ということである。)、被告人自身が、素直に事実を認めれば改悛の情があるものとして寛大な判決を受けられるかもしれないと期待するということは全く考えられないことではないし、また、共犯者の公判がまだ開かれずその認否も明らかでない段階であつても、被告人としては取調を受ける過程で共犯者の供述の概略を察知して、共犯者の供述に反しないよう架空の事実を真実として公判廷で供述することも全くできないわけではない。また、弁護人が、検察官から開示された証拠を検討し、明白な反対証拠のない限り無罪獲得は難かしいと判断し、被告人の意向を受けてせめて刑の執行猶予の言渡を受けようと努力するということは考えられるとこであるから、被告人の自供の動機についての弁解は必ずしも虚偽であるとは限らない。(2)所論指摘の被告人の供述中、「死刑だからやれ(以下略)」の部分は、弁護人の「それから、ほかの人でそういうことを言つている人がいるから、念を押したいんですが、増渕さんは『サン』で割り振りをつける時に、もうここまで参加したらどうせ死刑になるんだからやれと、厳しい命令のようなものはありましたか。」という質問に対し、「一応そんなような趣旨のことは言われました。」と答えたことから始まつたもので、いわば誘導尋問に対する答えで真実性に乏しいうえに、右供述は、「これをやらないとよくない。お前のためにはならないぞと言われた。」との部分(これは被告人の方から出て来た言葉ではあるが。)と共に、刑の執行猶予の判決を受けて早く釈放されたいと願つていたという被告人が、増渕から脅迫的に命ぜられたことを強調する余り事実に反して述べたものである、と釈放しても決して不合理ではない。そしてこれらが捜査官に対して供述していなかつた新事実であるとしても、被告人の公判廷における供述の信用性を裏付ける根拠としては十分でないといわなければならない。所論はいずれも失当である。

(二)  逮捕後勾留質問までの間の自供について

所論(同第四、三、3、(二))は、右自供が信用できるものであることの理由として次のとおり主張する。(1)原判決も認めているとおり、被告人の昭和四八年四月一四日付(以下、昭和四八年中のものについてはすべて月日のみを記載する。)供述書の任意性は十分であるところ、原判決は、江藤警部の取調が右供述書の内容の信用性に影響を与えているもののように判示していると認められるが、江藤警部は被告人を説得中、被告人が首を下げたので、「人が話をしているときは、相手の顔をよく見るように。」とやや声を大にして言つたことはあるけれども、なんら脅迫したものではなく、また、被告人が二度にわたつて否認内容の供述書を書いたとき、「こんなことを書けと言つているんではないんだ。君が本当のことを書くと言うから紙を与えているのだ。紙を無駄にするな。」と言つて新たな紙を渡しているが、これは真実を追求する態度で説得したものであつて、自白を強要したものではなく、それによつて虚偽の自白をしたとは到底認められないのであつて、右取調が供述書の信用性に影響を与えるようなものでないことは明らかである。(2)右供述書は、被告人が自ら固有の体験的事実について記憶に従つて供述したものであつて、信用性は十分である。被告人は、原審公判廷において、中村供述に基づいて行なわれた警察官の追及に耐えかね、これに迎合して認めたものである旨述べているが、それは全く措信できない。すなわち、右供述書には、習志野への同行者について、増渕と女二人とし、「女は一人だつたかもしれない。」とわざわざ断わつて記載してある。当時この点についての資料としては、中村が、増渕、前林、江口の三名を被告人に引き継いだという中村の供述調書があつたのみである。根本警部補及び江藤警部は、「新橋付近から女の人を千葉まで乗せて行つたか。」と追及したのみで、乗せて行つた人数はもちろんその氏名については言及していない。また「サン」謀議を認める内容の供述記載についても、取調官は、友人との交際関係の中で「サン」を利用したことがあるかとの質問を続けていたのみで、会合について具体的になんら指摘していないのに、被告人は「サン」で搬送を依頼されたことを認めると共に、同席者が増渕、堀、榎下、中村及び被告人である旨具体的に明らかにしたのである。原判決は右供述書の内容を深く吟味することなく信用性を否定しているものである。(3)被告人の四月一五日付司法警察員に対する供述調書(図面を含め一八枚綴り)(以下、原本、謄本を問わず、司法警察員に対する供述調書は員面調書、検察官に対するものは検面調書という。)を作成した根本警部補は、前記四月一四日付供述書の供述記載を詳細に明らかにするため取調を行なつたのであるが、それに対し、被告人は一度否認の態度をとつたが、それはさ程強固なものではなく、同警部補に本当のことを言うように説得されて、それまで全く話題にならなかつた新事実、すなわち、①榎下から習志野陸運事務所の場所を聞かれたことがあること、②榎下に荷札に住所を書かされたことがあること、③日石本館付近の下見をしたこと、以上の事実を含め(しかも、右①及び②の事実は、公判段階においても被告人の認めている。)、日石事件について自供し詳細な供述をした結果右員面調書が作成されたものであり、これについては原判決の指摘する前記江藤警部の取調の影響は全くないのであつて、原判決は具体的な検討を加えることなく右員面調書の信用性を否定しているものである。(4)被告人の四月一五日付検面調書には、増渕も一諸に習志野に行つた旨の供述があるが、被告人は警察官の取調に対しては、新橋から習志野まで送つた相手として前林についてのみ言及していたのであり、増渕が習志野へ行つたことは被告人の右検察官に対する供述によつて初めて明らかになつた事実であつて、増渕自身は当時東京駅八洲口で前林と別れたと供述していたのである。このことは、被告人が単に警察官の取調に対しおうむ返しの態度で供述したのではなく、検察官に対しては積極的に自らの体験を呼び起こして供述していたことを示すものである。また、被告人は、右検面調書において、「サン」謀議につき、参加者として増渕がいたように思うがはつきりしない旨述べると共に、被告人らに任務を指示したのは堀であり、しかも堀は千葉まで運ぶ相手については向こうへ行けば分かると言つて、その氏名を明らかにしなかつた旨供述しているが、この被告人の供述と中村の「サン」謀議に関する供述を対比すれば明らかなように、「サン」謀議の存在すること自体については同趣旨でありながらも、具体的な状況中の重要な点について相違があるのであつて、捜査官が中村供述に基づいて押しつけがましい取調をしたとは到底認められず、被告人は自らの体験事実を取調当時の記憶の鮮明なものとそうでもないものとに明確に区別し、かつ主張すべき点は主張して供述したものと認められる。更に、被告人は、右検面調書において増渕、前林を引き継いだ際中村の姿を見たとの供述をしているわけではないのであるから、中村のアリバイが成立したからといつて、それをもつて直ちに右検面調書の信用性がないといい得ないことは明らかである。結局原判決は右検面調書についても具体的な検討を加えることなくその信用性を否定する誤りを犯しているものである。(5)被告人は、四月一六日、裁判官の勾留質問に対し被疑事実を認め、悪いことをしてすまなかつた、早く警察に知らせるべきであつた旨述懐しており、裁判官の面前における右供述の信用性は高いというべきである、と主張する。

しかしながら、(1)原判決は、所論主張の江藤警部の取調を違法と断じているわけではなく、また、右取調の結果得られた被告人の自白の任意性を否定しているわけでもなく、ただ否認から自白への供述の変遷が捜査官の厳しい取調の状況と一見符節を合わせているかのように窺われることは、被告人の土田邸事件の搬送に関する供述態度と相まつて、自白の信用性を判断するにつき無視し去つて差しつかえない事項があるか否かは問題である旨説示しているのであつて、原判決の右判断は正当というべきである。(2)被告人の取調に当たつた根本警部補らの取調状況は所論指摘のとおりであつたとしても、所論も認めているように、右取調当時、中村が増渕、前林、江口の三名を被告人に引き継いだという中村の四月一二日付員面調書が存在していたのであり、根本警部補は上司である舟生管理官から、「中村が事件後前林を被告人に引き継いだ。もしかしたら増渕も一諸だつたかもしれない。」という注釈つきで、その真偽を確かめるよう指示を受けて(同人の原審公判廷における供述)、しかも、被告人が逮捕された四月一三日の夕刻以来四月一四日付供述書の作成されるに至つた四月一四日の夜までかなり長時間被告人の取調に当たつていたのであるから、取調官の言葉のはしばしから、被告人が千葉まで運んだとされる者が三名で、うち一名か二名は女であつたということや、「サン」謀議に集まつたとされる者の氏名や、「サン」で行なわれたとされるもろもろのことを被告人が察知したということも考えられないわけではないから、右供述書の内容に所論指摘の供述記載があるからといつて、右供述書の信用性が高いとは必ずしもいい難い。(3)所論は、四月一五日付員面調書にはそれまで全く話題にならなかつた新事実が記載されており、その事実のうち二つまでは公判段階においても被告人が認めていることを強調するが、榎下の四月一二日付員面調書によれば、榎下は、荷札書きが行なわれたとき被告人もその場に来ていたこと、被告人が増渕、前林、堀らと共に日石本館ビル付近の下見をしたと被告人から聞いたことを供述していることが明らかであり、特に右下見の事実は事件の解決のため極めて重要な事柄であるから、被告人の取調官と榎下の取調官は別であるとしても、右各事実が被告人の取調の際四月一五日まで全く話題にならなかつたとは考え難いし、被告人が習志野陸運事務所の場所を聞かれたことがあることを公判段階においても認めていることは事実であるが、荷札書きの事実についての被告人の公判廷における供述はあいまいであつて必ずしもこれを認めている趣旨ともとれないことを考えると、被告人の右員面調書の信用性が所論のいう程に高いとは考えられない。(4)所論は、増渕が習志野へ行つたことは四月一五日付検面調書によつて初めて明らかになつた事実であるというが、なるほど増渕の四月一三日付員面調書によれば、同人自身は東京駅八洲口で前林と別れた旨供述しているけれども、中村の四月一一日付員面調書によれば、中村は同日、増渕に頼まれ事件当日増渕と前林の両名を自己の運転する自動車に乗せて習志野まで送つた旨供述しており(もつとも、右供述は四月一二日付員面調書において訂正され、自分は増渕らを新橋第一ホテル付近まで送り、そこで被告人に引き継いだ旨供述が変わつているが)、自動車を運転した者がだれであるかは別として、増渕が前林と共に習志野に行つたかもしれないということは、四月一一日の時点において既に捜査当局に分かつていたことであるし、更に榎下の四月一二日付員面調書によれば、榎下は同日、被告人から、被告人が増渕と前林の両名を習志野まで送り、そこに二人を置いてふつ飛んで帰つて来た旨聞いたことを供述しており、四月一二日の時点では捜査当局は習志野まで増渕らを送つたのは被告人ではないかという疑いをもつていたと認められるのであり、また、被告人の取調に当たつた根本警部補は前記のような上司の指示を受けて被告人の取調を行ない、被告人は四月一四日夜前記の供述書を作成し、その中で自分が自動車に乗せた三人の一人は増渕だと思う旨記載しているのであるから、増渕が習志野へ行つたことは被告人の前記検面調書で初めて明らかになつた事実であるとは考え難いところである。また、右検面調書をその直前に作成された同日付員面調書(前林の写真添付のもの)及びその直後に作成された同日付員面調書(写真の添付されていないもの)(いずれも根本警部補作成)と対比して検討すると、被告人は右検面調書作成の直前に根本警部補に対し、「サン」において前林を被告人の自動車に乗せて千葉まで行くように指示された旨供述し、前林の顔写真で前林を確認していながら、右検面調書においては千葉まで運ぶ相手については向こうへ行けば分かると言われた旨その供述を変更しているのに、その変更の理由につきなんら説明していないし、その直後根本警部補に対しても右同旨の供述をしながら供述変更の理由を述べていないほか、なるほど「サン」謀議の際被告人らに任務を指示したのは堀であるとの供述は、中村供述と相違するけれども(しかし、図面を含め一八枚綴りの四月二三日付検面調書では、増渕と堀から指示を受けた旨供述しており、中村供述との相違はない。)、「サン」謀議の参加者に関する供述は、断言はできないが増渕がいたような気がするというものであつて、中村供述とそれ程大きく相違するものとは認められない(右の四月二三日付検面調書では、増渕がいたと供述しており、中村供述と合致している。)また、被告人は、なるほど引継の際中村の姿を見たとの供述をしているわけではないが、そうかといつて中村の姿を見なかつたと積極的に供述しているわけでもなく、むしろ右各調書の全体を総合してみれば、あらかじめ指示されたとおり中村が自分のサニーを運転して引継場所に来たという趣旨を供述しているものと認めるのが自然である。現に、右の四月二三日付検面調書では、「引継後中村の車が走り出し私の車の右側を通り抜けて前へ行つた。通り過ぎたとき中村がちよつて手を上げたような感じで、いつもする『やあ」というような挨拶というか合図というか、ちよつとした身振りをするのがわかつた。」旨供述しており、右供述中中村の身振りに関する部分は、同人の四月一二日付員面調書中の「私は右手を上げ、被告人も右手でオーケーと答えた。被告人の顔を見たが、被告人に間違いなかつた。」旨の供述部分とおおむね符合するのである。したがつて、所論の諸点を強調して、原判決が前記四月一五日付検面調書の信用性を否定したのは誤りであると断定するのは早計といわざるを得ない。(5)裁判官の面前における供述の信用性が高いことは一般論としては首肯できるのであるが、被告人は、勾留質問の際に公訴事実である爆発物取締罰則違反等の幇助の事実を認めたのではなく、より責任の重い同罪の共同正犯をたやすく認めているのあつて、そのこと自体不審であるし、被告人が逮捕状を執行される際、被疑事実を強く否認し、だれかが嘘を言つている、無実であつたことが判明した場合どうしてくれるかと反問したこと(原審証人根本宗彦の供述)と、その後勾留質問までの間被告人の供述が原判示のとおり変遷した状況に徴すると、勾留質問時における被告人の供述は裁判官の面前における供述であるといつて必ずしも信用性が高いとはいい難い。所論はいずれも失当である。

(三)  否認と再度の自供について

所論(同第四、三、3、(三))は、被告人の否認は、全体として一貫性を欠き、否認のための否認というべきであり、むしろ再度の自供を信用すべきであるとし、原判決は被告人が土田邸事件の搬送を自供し後にこれを否認したという事情を本件についての自供の信憑性を減殺する事情とみているが、被告人が土田邸事件に関する搬送事実を自供したとはいえ、間もなくその自供を撤回しているのに(四月二一日に自白し、同月二四日に撤回した。)、本件犯行についての自白は、原審第一回公判期日までこれを維持しているのであつて、その自供は土田邸事件に関する自供とは質を異にし、十分信用し得るものというべく、特に本件についての自供も真実でないとするならば、土田邸事件の搬送と共に容易にこれを撤回し得たはずであるのに、被告人は原審第一回公判期日において、弁護人の質問に対し、土田邸事件の搬送を認めたのは、気持が動揺していたためであると答える一方、「サン」において搬送の割当を受けたことは間違いない旨弁護人の念を押した質問に答えているのであつて、土田邸事件における搬送の真偽よりも本件再度の自供を維持した点をこそ重視すべきである、と主張する。

しかしながら、土田邸事件では土田夫人が死亡するという重大な結果をもたらしたのに対し、日石事件では郵便局の段階で爆発し目的を遂げなかつたというのであり、また前者では爆弾を郵送するために搬送したというのに対し、後者では爆弾発送後の犯人の搬送を引き受ける約束をした(本件訴因)というのであつて、被告人の事件へのかかわり方が異なることなどに徴しても、被告人の責任の程度につき両事件の間にかなりの違いがあることは、だれが考えても容易に推察できるのであつて、被告人が責任の重い土田邸事件の自供を撤回し、より責任の軽いと思われる日石事件の自供を維持したとしても、それはそれなりに理解できないことではなく、維持された自供内容が真実であるとは必ずしもいい難いから、被告人が本件再度の自供を維持した点をさ程重視することはできない。所論は失当である。

(四)  習志野陸運事務所の構造、位置関係についての供述について

所論(同第四、三、3、(四))は、被告人は、四月二四日の習志野陸運事務所の実況見分の前に、警察官に対し同事務所の構造、構内の状況などについて説明しており、被告人の説明と実際とはほぼ一致しているのであつて、被告人自身四月二四日付員面調書において、「私の記憶では陸運事務所の建物が木造かプレハブの平屋建で庭が広く、大きな樹があり、陸運事務所の道路をへだてた向う側は何もない原つぱがあつたのですが今日行つてみますと建物は木造モルタルの平屋建で庭が広く、大きな樹は松の木であり向い側の原つぱと思つたのは自衛隊の演習場だつたので私の記憶も誤つていなかつた(後略)」と述べているのに、原判決は、右供述調書等において説明している事務所の構造、周囲の状況は概略のものに過ぎず、それは東京陸運事務所の本所、支所のうち多摩支所を除く品川本所、練馬、足立各支所のそれと似ているので、被告人の右供述は大して重要な意味を持たない旨説示しているが、被告人の供述で重要な点は、「庭が広く大きな樹があり、陸運事務所の道路をへだてた向う側は何もない原つぱがあつた」、「大きな樹は松の木であり、向い側の原つぱと思つたのは自衛隊の演習場だつた」としているところであつて、原判決が習志野陸運事務所の構造、周囲の状況と似ていると指摘している品川本所、練馬、足立各支所の庭にはいずれも大きな木はなく、道路を隔てて原つぱはないのであるから、被告人の右供述は現に習志野陸運事務所に行つた経験があつたからこそなしたものであり、十分信用するに値するものといわなければならず、また、被告人は、原審公判廷において、警察官から知識を与えられて述べたものであると供述しているが、取調警察官は右実況見分の以前には習志野陸運事務所へ行つたことはなく、なんの知識もなかつたから、被告人に対して知識を与えたことはない、と主張する。

しかしながら、所論が信用できる供述として縷縷引用する供述は、被告人が四月二四日に習志野陸運事務所の実況見分を終り帰つて来た後に作成された同日付員面調書中の供述であり、他方、右実況見分の以前に作成された被告人の四月一五日付員面調書(一五枚綴り)には、所論が重要な点として強調する「庭が広く大きな樹があり(中略)向う側は何もない原つぱであつた」という部分のうち、庭は広かつたという供述しか見られず、また四月二三日付検面調書には庭に関する供述すらなく、しかも右各調書の習志野陸運事務所の図面として添付されているものはいずれも略図というにも足りない程の簡略なものであり、建物も一棟しか書かれていないこと、被告人を直接取調べた警察官ではないが、当審証人石島勇警部補の供述によれば、同警部補は右実況見分の以前である四月一三日に前林の捜査に関連して習志野陸運事務所を訪ねており、右事務所の状況などは捜査当局に分かつていたと認められることなどに徴すると、右四月二四日付員面調書の供述もさ程重要なものとは考てられない。所論は失当である。

(五)  引当りに際して習志野陸運事務所への曲り角を指示できなかつたことについて

所論(同第四、三、3、(五))は、(1)原判決は、日常車両整備の業に従事し、車両の運転経験も深い者が、相当長距離を長時間走行し、しかも帰路はなんびとの指示も受けず、通常の所要時間で帰社している以上、その間の若干の目標なりとも想起して特定し得るのが常識に合致するゆえんではないかとも思料されるとして、被告人が京葉道路から習志野陸運事務所へ向けて左折する場所を特定できず、同事務所へ直行できなかつたことに疑問を投げかけているが、被告人は本件に際して一回だけ同所へ行つた経験があるに過ぎず、しかもその時は前林の案内と指示により自動車を運転しているものであり、またその時から実況見分時までに一年半余を経過しているうえ、京葉道路から出て右事務所へ到達するコースは幾つもあつて、それぞれ陸運事務所へのコースを指示する標識等もない状況で、特にどのコースでなければならないという性質のものでない場所的関係からみれば、被告人が実況見分時にそのコースを特定できなかつたからといつて異とするにはあたらない。(2)被告人は、右陸運事務所正門の南西約八〇〇メートル、国道二九六号線から約一〇〇メートルの陸上自衛隊習志野駐とん部隊演習場に入つた箇所に設置されてある「ナイキ基地内パラボラアンテナ」を見て「あれを思い出した」と説明している(四月二八日付実況見分調書。なお同調書に「パラパラアンテナ」とあるのは、「パラボラアンテナ」の誤記と認められる。)。被告人が出入している東京都内の陸運事務所には、その近くに自衛隊の演習場はなく、したがつて右のパラボラアンテナもないのであつて、被告人は現実に右のパラボラアンテナを見て本件習志野行きの際体験したことを想起して説明したものと認めるに十分であり、しかも警察官の誘導もなく極めて自然に話したもので、信用性は高いものである、と主張する。

しかしながら、(1)被告人が習志野陸運事務所へのコースを特定できなかつた事実自体は、原判決も説示し所論も認めているように、被告人の本件搬送行為を積極的に認定すべき資料としての価値を有するものではなく、また、所論のように全く異とするに足りないものともいい難い。(2)所論指摘の四月二四日付実況見分調書の作成者である石島勇警部補の当審公判廷における供述によれば、被告人のナイキ基地内のパラボラアンテナを見て「あれを思い出した」旨の指示説明は、石島警部補の方から右アンテナを指して見覚えがないかと質問したのに対し被告人が答えたものであつて、被告人の方から積極的に述べたものでないことが明らかであるから、必ずしも被告人自身の体験したことを想起して説明したものとは断定し難い。所論はいずれも失当である。

(六)  実況見分における引継場所の指示及び供述について

所論(同第四、三、3、(六))は、(1)原判決は、実況見分の際被告人が引継場所として指示した点は、被告人のその場の思いつきで指示したものではないかとの疑問がないとはいえないと指摘し、その理由として、被告人が指示した通称第一ホテル前通り(以下、第一ホテル前通りという。)堤ビルデイング前の渋谷行バス停留所の後方約九メートルの地点は、「サン」謀議の際に指示されていた場所すなわち第一ホテル前ではないこと、被告人の指示した地点とても常に駐車し得るとは考えられず、引継場所としては第一ホテル前ないしその付近は極めて不適当であること、あらかじめ指示された地点以外で引継をしたことについて、捜査官から指摘されて始めて「多分その当時第一ホテル前には車が駐車していて停められなかつたからであると思う」旨説明しているに過ぎず、実況見分前の供述調書にはそのような説明が見受けられないことなどを挙げているのであるが、第一ホテル前ないしその付近が引継場所として必ずしも不適当とはいえないし、引継地点が「サン」謀議において指示された第一ホテル前でなかつたことについて、実況見分実施以前の供述調書において説明されていないとしても、実況見分実施前の四月二三日付検面調書添付の図面に示してある被告人車の位置は第一ホテルの真ん前ではなく、実況見分における指示地点と極めて似ているし、あらかじめ指示されていた場所に極めて接近した場所であるから、あらかじめ説明がなかつたからといつて不合理とはいえず、しかも、被告人は実況見分の際現実に停車可能なのに第一ホテル前を過ぎ、幅員の狭くなつた堤ビルデイング前に捜査官を案内したのであつて、これは右地点で現実に引継をしたがためというべきである。(2)被告人は、中村から引継を受けた場所につき、最初のいわゆる外堀通り(以下、外堀通りという。)から第一ホテル前通りに供述を変更した理由として、増渕らに対する被告事件の法廷では、中村が書いた図面を見せられたからであると証言しているが、実際には中村の作成した図面で第一ホテル前通りで被告人に引継をしたことを示すものは全く存在しないのであり、また、被告人は原審公判廷では、取調官からガード寄り(外堀通り)ではないかと念を押されて供述を変えた旨述べており、ことさらに自発的に供述したことを隠そうとする意図がみられるのであり、被告人の否認供述は信用できないものである、と主張する。

しかしながら、(1)所論主張を考慮に入れてみても、原判決が指摘する疑問は解消されないといわなければならない。特に、所論は、実況見分実施前の四月二四日付検面調書添付図面の被告人車の位置は第一ホテルの真ん前ではなく実況見分時における指示地点と極めて似ているというが、右検面調書をし細に検討すると、右図面は極めて簡略なものであるし、右調書において被告人は、「サン」謀議の際引継場所として指示されたのは第一ホテル前であつたように思う旨供述し、また右の図面を作成した後、「実際に待ち合わせた場所を思い出して行くと第一ホテル前になる」旨供述しているのであるから、右図面の被告人車の位置は第一ホテルの真正面ではないけれども、被告人はあらかじめ指示された場所と現実に引継をした場所とは同一であつて第一ホテル前であるという趣旨で右図面を作成していることが明らかである(であるからこそ、取調検察官は、実況見分実施後の四月二五日付検面調書において、あらかじめ指示されていたという場所と実際に引継をしたとして実況見分時に指示した場所とが違うものと考え、第一ホテル前という話であつたのにどうしてその前を通り過ぎたのかと追及したわけである。)から、右図面上の被告人車の位置が実況見分時に指示した場所に似ているとして、あらかじめ謀議で決められた場所と実況見分時に指示した場所との相違を問題にしないのは相当でない。(2)引継地点に関する関係者らの供述調書、特に、中村の四月一二日付、同月一三日付、同月一五日付、同月二三日付、同月二四日付各員面調書、同月一四日付、同月二四日付各検面調書、増渕の同月一九日付検面調書(図面を含め二七枚綴り)、被告人の同月一五日付(一五枚綴り)、同月二二日付各員面調書、同月一五日付、同月二三日付(図面を含め一八枚綴り)、同月二五日付各検面調書、以上のほか同月二三日付司法警察員作成の被疑者取調状況報告書を総合すると、引継場所について「第一ホテル前」ということを最初に供述したのは中村であり、第一ホテルを記載した図面(もつともそれは外堀通りでの引継を図示したもので、第一ホテル前通りでの引継を図示したものではないが。)を最初に作成したのも中村であり、また、被告人が初めて第一ホテル前通りについて供述をし、図面を作成した日(四月二三日)より以前である四月一九日に、検察官が増渕に対し、わざわざ、引継場所は第一ホテル付近ではなかつたかとの質問をしているところからみても、捜査官は被告人の供述をまつまでもなく、引継場所が外堀通りではなく第一ホテル付近ではなかつたかという疑問を持つていたことが明らかであるから、所論指摘の被告人の弁明は必ずしも信用できないとはいい難い。所論はいずれも失当である。

(七)  犯行後の謀議への被告人の不参加について

所論(同第四、三、3、(七))は、本件犯行後日大二高において、増渕、堀、榎下、松村が集まつて日石事件の反省と更に新しい爆弾製造による再度の犯行に関して討議がなされており、原判決指摘のとおり、増渕ら関係者にとつてこれは重要な意義を有するものと認められるが、被告人は組織の構成員ではなく同調者に過ぎず、また、被告人が果たした役割も犯行後の犯跡隠ぺいのための搬送であつて、他の共犯者に比べて軽いことを考えれば、右会合に被告人が出席しなかつたことは十分にあり得ることであつて、不合理であるとはいえない、と主張する。

しかしながら、所論のとおり被告人が所論の会合に出席しなかつたことをもつて必ずしも不合理であるとまではいえないとしても、同様の会合は前後三回くらいあつたのに被告人は一度もその会合に出席していないし、また出席を求められた形跡も存しないということは、原判示のとおり、少なくとも被告人が日石事件に関与したか否かを判断するうえで参酌に価する事情といつて差しつかえない。所論は失当である。

(八)  アリバイの主張と供述の信用性について

所論(同第四、三、4)は、原判決は、「被告人が本件日石事件当日間断なく月島自動車にいたことは積極的には認定できないが、同時に検察官主張の如く、被告人が外出した可能性は全く否定し得ないとしても、むしろ当日の被告人の作業量からすれば、長時間連続して外出する機会はなかつたのではないかとの合理的疑いを容れる余地が存することも否定し難いところである。このように、被告人のアリバイが完全に成立したことは認められないとしても、その点について合理的な疑いを容れる余地が存する以上、延いて被告人の捜査段階および第一回公判期日における供述の信用性に影響を及ぼす結果となるのも当然である。」と説示しているが、仮に原判決の説示するように被告人のアリバイが成立するかどうか判然としないとしても、その事実は、その余の事実についての供述の信用性に影響を与えるものではないにもかかわらず、原判決が被告人の供述の信用性に当然影響を及ぼす結果となるとしたのは誤りである、と主張する。

しかしながら、原判示のとおり、被告人が長時間連続して外出する機会はなかつたのではないかとの合理的な疑いを容れる余地が存する以上、長時間を要する本件搬送行為を実行した旨の被告人の供述部分の信用性のみならず、ひいては本件搬送を指示されたという「サン」謀議に関する供述部分の信用性にも影響を及ぼす結果となることは当然であつて、原判決の右判断に誤りはない。所論は失当である。

八結論

以上検討したとおりであつて、原判決に証拠の取捨選択とその評価を誤りその結果事実を誤認した違法があるとは考えられず、結局論旨は理由がない。

よつて、刑訴法三九六条により本件控訴を棄却することとし、主文のとおり判決する。

(服部一雄 藤井一雄 山木寛)

自由と民主主義を守るため、ウクライナ軍に支援を!
©大判例